連載「あかるいところ」
     
 
奄美の話
SIGUNATURE 2004/6 No.472
 
     
     
   昨年のこの季節、私は奄美大島に新しく完成した「田中一村記念美術館」で、奄美群島日本復帰五十周年を記念した写真展「あかるいところ」を行なった。
  東京に暮らし生活する私にとって、奄美は決して近いところではない。しかし不思議なことに、時としてとても近い場所のように感じることがある。確かに東京は多くのもので満ち溢れていて、その色彩も多種多様だ。それに対して奄美は、物理的な情報も含めてものは少なく、色彩の多くは自然界が作り出すもので、その種類は一見とても少ないように映る。
  だが、それを印象という視点から捉えると、その立場は逆転する。いろいろなものがあると思っている東京には実は何もなく、印象に残る色彩も少ない。片や奄美には、人びとの暮らしを巡る様々な事象があって、その色彩のすべてが心に刻まれていくような印象を受ける。私は決して奄美が良くて東京が悪いといったことをいうつもりはない。ただ近くても遠くに感じる場所、遠くても近くに感じる場所があるという感覚と素直に向かい合いたいと思っているのだ。
  一九九六年に、映画『青い魚』の撮影監督を担当した。ロケ地の沖縄は、当時の私にとって異国であった。だが、初めての撮影だったにもかかわらず、その映像の中には、懐かしいと感じる日常の風景が当たり前のような顔をして映っていて、そのことがとても不思議で新鮮だった。


  そして今回の撮影地は奄美である。最初のうちこそ沖縄とは異なる印象があったが、やがて二つの土地のもつ世界観が同じであることに気づいた。そのことを証明するかのように、この地域の島々には「ニライカナイ伝説」が伝わる。寄り添うように家々が立ち並び、人びとは助け合い自然と共存しながら生きている。
  以前「あなたにとって楽園とはどんな場所?」という問いに、多くの人が「緑の大地があって、空があって、太陽があって、その下に家が建っていて、人がいて、その横には犬がいる」といった絵をイメージしたという記事を読んで興味深く思った。楽園とは単に美しいだけではなく、その中に暮らすことによって成立するものなのかも知れない。
  奄美にもそのような場所があるような予感がして、私は島中を訪ね歩いた。そして出合ったのが加計呂麻島の南にある西阿室という集落だった。奄美大島から南へフェリーで二十分ほど、美しい珊瑚礁に囲まれた島である。
  ここを初めて訪れた日は雨が降っていた。港から入り組んだ山を抜けて集落に入ると、この辺りでは割と大きな学校が最初に目に入ってきた。校庭には大きな木が何本も植わっている。路地を歩くと、手入れの行き届いた畑があり、家々の庭にも植物が満ち溢れている。それだけでも圧倒的に美しかった。聞けばここは夕日の名所だという。
  後日、晴れた日に訪れたときの美しさは格別だった。海も山も、この集落のすべてがキラキラと輝いている。楽園の光景とはこのようなものなのではないか--。できることなら、この美しい集落に暮らす人びとの姿も湿板で撮影したいと老人会の方々にお願いしてみると、彼らは快く引き受けてくれた。
  撮影当日、コロジオン乳剤の調子が悪くて手間取っていた我々を労っておにぎりの差し入れまでしてくれる。そのおにぎりの美味しかったこと。そしてその気持ちが何よりも嬉しかった。次の日も集落内をブラブラと散歩しながら写真を撮っていると、一人のおばさんが声をかけてくれて、お昼までご馳走になってしまった。こうしたことも、今の都会では有り得ない。とにかくすべてが温かかった。
  写真は、湿板であろうがデジタルであろうが、光がなければ成立しない。そしてその光にも様々な種類がある。私が湿板写真を始めたのも、この手法によって眩しいほどの光や滲み具合を表現することができ、それが自分の考える光の印象や記憶と重ね合わせることができるためであった。
  一回目の奄美湿板写真撮影は「写す」ことと徹底的に向かい合った。そして二回目はその目的もはっきりとしてきて、そのことがかえって通常のフイルムの良さを知ることにもなった。やはり世の中の事象はすべてが繋がっていて、そのすべてを司っているのが、ほかでもない光なのである。この事実と向かい合えば向かい合うほど、その光を受けて、時には温かく、時には明るく呼応する世界が浮き彫りにされていく。私はいつもその場所で、写真という道具を使って観光(光を観る)している。
 
 
 
 
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