連載「あかるいところ」
山と川と風の話
SIGNATURE 2004/10 No.475
秋が近づいてくると、森の木々の葉がすべて落ちる前に訪れたいと思う山がある。
それはかの宮沢賢治記念館があることでも知られる胡四王山。その森の中で体感する風が木々をわたる時のざわざわとした感じが、何ともいえずに心地よい。胡四王山が大きな花崗岩盤でできているせいか、風が通過するたびに、風そのものが人の声に近い帯域の音となり何とも温かい感じを与える。
そこは北上川に注ぐ風の通り道でもあって、普段は穏やかにそよぐ風も、一度奥羽山脈を越えて西側から吹くと強い突風になる。何の前ぶれもなく突然に「どっ」と吹き、そして「どどどう」と風が吹く。
「どっ どどどどう どどどう どどどう」
そこには木々のざわめき以外具体的に見て取れるものはない。だが私はそこで宮沢賢治を実感した。
森の風は、北上川を抜けて遠く遠野に続く。その道筋は県内でも有数の雷の多発地帯でもある。この辺り一帯には強固な鉱脈があって、黄金文化で知られる平泉の藤原三代の時代から多くの鍛冶職が存在していた。つまりこの風は、炉の風として彼ら鍛冶職にとっても大いに役立ったわけである。
ゆったりとそよぎ牧歌的な風景をつくる風が、時に強いエネルギーをもって、金、銀といった結晶を造りだす風でもあったということに、大きな力と不思議を感じる。
私はそのことを、宮沢賢治のモチーフのなかで身をもって実感した。ある秋の終わり、かねてから一度は行ってみたいと思っていた「風の又三郎」の舞台、種山ヶ原に向かった。「風の又三郎」は、原作の「風野又三郎」に童話「さいかち淵」と「種山ヶ原」のエピソードを加えた改作である。
さいかち淵とは花巻市の豊沢川にある淵を総称したものといわれている。豊沢川は北上川に注ぐ支流で、川に沿うように穏やかな風が吹いていた。しかし一度北上川に合流すると、その穏やかな印象は一気に姿を隠し、急に激しい様相と変わるのである。
種山高原にも豊沢川の上流にもモリブデン鉱床がある。宮沢賢治はそのことを知っていた。彼は水脈と地下鉱脈が併存する大地の上をなでる大気の大循環のひとつの姿として、「風」の存在に思いを馳せたのではないだろうか。
花巻市内から種山高原に続く道――つまり豊沢川より続く道筋辺りを歩いてみる。頭上には抜けるような青空が広がっている。風も穏やかで気持ちがいい。そして賢治も勤めていたことがあるという砕石工場を横目に見ながら、ひたすらにその山を登った。
この辺りは天候が変わりやすいとは聞いていたが、案の定雲行きが怪しくなってきた。頂上に着いた頃に辺りは真っ暗になって、気温もかなり下がっている。それでも私は誰もいない高原を歩いた。風もかなり強い。丘の上で次から次へと方向を変える風。もし風が目に見えるとしたら、大きな渦を巻いていたに違いない。
しばらくすると空から霙混じりの雨が降ってきた。霙は上からではなく明らかに下より吹き上げてきている。眼下には先ほどまで歩いていた豊沢川付近の町並みが広がり、いまだ晴れているのが見える。本当にこの風は、いったいどこから吹いてくるのだろうか。
宮沢賢治は「風の又三郎」の書き出しで、その場所を指し示している。
「谷川の岸に小さな学校がありました」
穏やかで温かい印象を持つあの場所が、風の宿る場所であるとしたら――。この土地が鉱脈によってつながっていることを知ったからだけではなく、私は不思議に安心し納得した。
やがて霙も止み光が戻ってくると、風は青空の下で今度は山から町へと下りていった。
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