連載「あかるいところ」
     
 
色の話
SIGNATURE 2004/11 NO.476
 
     
     
   その日は大きな満月が出ていた。その月明かりが湖面に揺れ、キラキラと漂う感じが、私にはその湖面そのものに光があるかのごとくに映っていた。
  時間軸を超えた不思議な光の世界は、静かな夜明けとともにゆっくりと藍色の世界へと変わっていく。やがて湖面も色みを帯び始め、あたりは様々な色を生み出しながら朝を迎えた。
  気がつくと、つい先ほどまでこの世界の中心であったかのような月はすでにその姿を消し、目の前にはただひたすらに大きな、青々とした湖が拡がっていた。
  月明かりの下では影と化していた周辺の木々たちが、赤く染まったその葉をもたげる。この短い時間に、この世に存在するありとあらゆる色を目の当たりにしたような思いに抱かれた。それが何よりもの驚きであった。
  これは数年前に琵琶湖の湖畔で体験した幸運な一時の話。季節は秋、確か十一月の初旬であったと記憶している。
  日本地図を広げて驚くのだが、琵琶湖はとてつもなく大きな湖である。その中で私が立っていたのは、湖北といわれる琵琶湖の上方であった。



 近くには天女の羽衣伝説で有名な余呉湖もあり、それらの大きな湖を深い山が取り囲んでいる。そんな立地条件も重なってか、この地域の気候条件は厳しく、冬になると積雪量が多いことでも知られる。人々の暮らしは決して楽ではない。
  そしてここは、長い歴史のなかで数多くの合戦が繰り返された場所でもあった。特に「関ヶ原の合戦」では、戦いが終わった後もゲリラ戦のようなものが繰り返されたと聞く。
  こうした歴史は当然のことながら、そこに暮らす一般庶民の生活に大きく影響を及ぼしたことであろう。しかし不思議なもので、人間という生き物はそういった痛みを繰り返せば繰り返すほど、人として大きく、暖かい存在になっていくようである。なぜなら、このあたりに暮らす人々は、実にのんびりしていて、暖かく大きいからだ。
  以前、ある雑誌で仏像の連載をやっていた頃、私は度々この地を訪れた。それほどこの辺りには、集中して秀逸な仏像が数多く現存している。まるで長い歴史のなかで失われたものを供養するかのように。
  これらの仏像は、永年この地の住民によって守られてきた。かの明治初頭に敢行された「廃仏毀釈」の折にも、人々はすべての仏像を命からがら隠しとおしたと聞く。そしてその思いは今現在も脈々と続いている。

  この地の温かい印象は、そんなところからきているのだろうか。
 とりわけ先に記した朝の風景のように、紅葉の印象は格別である。紅葉といっても、多くの人々で賑わう京都のそれとは違って、自然そのものが色づいている。その様は、あたかも山そのものが大きな塊として赤く染まり、木々だけでなく大気までもがクリアーで美しい色彩に染まっているかのような印象すら与える。
  クリアーな大気によって、そこに存在する色がより鮮やかに際立つ。その色は気温によって刻々と変化していく。
  紅葉の時期、色は山の上から降りてくる。暖かい色が上から降りてくるというこの感覚は、紅葉独特のものではないだろうか。
  これからやってくる冷たい冬の前に自然界が見せてくれる「紅葉」という光景を観るにつけ、私は色の不思議を感じる。そしてその印象はいつの日もとても大きくて温かい。
 
 
 
 
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