連載「あかるいところ」
パリの話
SIGNATURE2005/1&2 NO.478
先日、久しぶりに仕事でパリに向かう飛行機の中で、「いったいパリに行くのはこれが何度目になるのだろう?」とふと思った。思い起こすことができるだけでもかなりの数になる。どうやら人には不思議と縁のある土地というものがあるようで、私にとっては外国の中ではパリがその地になるようである。
一九八六年、冬。私は初めてパリを訪れた。はっきりとした目的もなく、何のあてもなく、何の情熱もなく、たいして頼りにもならない写真という小さな方法論だけを持ってパリの街を彷徨っていた。
あの時、なぜパリでなければならなかったのか――どう考えても、今だにわからない。おそらくどこでもよかったのかもしれない。とにかく一度、自身の暮らす日常を離れて、先のことを考えたかったのかもしれない。その時は別段決めていたわけではないが、何となく写真もやめるつもりでいた。そんな私の目の前を、いつもと違う人々と空気の中で、いくつもの新しい光景が通り過ぎていった。
時々、思いついたようにシャッターを切ってみたりもしたが、その写真の中には、何も写っていないような気がしていた。しかし不思議なことに、今でもその時の光景は、朧気ながらも、確実に色と音と香と共に私のなかに存在している。
そうした体験に伴うのが、そこが初めての場所であるにも拘わらず、いつかどこかで見たことのあるような、そして私自身ずっとこの瞬間を待っていたような、空気と光景に包まれる感覚であった。
今思うと、その時の私は深い水の中にいるようで、その光景はとても暗いものだった。だからこそ光に対して、余計敏感になっていたのかもしれない。
そんな日々が続いていたある午後のこと。パリはその日も相変わらず寒く、空にはやたらと分厚い低い雲がパリの上空を覆っていた。
その雲の重さがそのまま自分の肩にのしかかっているかのごとく感じていた私は、時折冷たい風が吹くカフェのテラスでコーヒーを飲みながら、目の前を行き交う、言葉さえも通じない人々をぼんやりと眺めていた。その時である。
頭上の分厚い雲の隙間から、突然光が溢れてきた。その瞬間、ポプラ並木にユラユラと木漏れ日が舞い、人々の髪の毛は黄金色に輝き、そして近くの噴水の水の音までが、堰を切ったように聞こえ始めたのである。
とにかくとても美しい瞬間だった。
私はしばらくの間、そんな光景にただただ見惚れていた。そして自分の体が次第に温かくなってくことに気づいた。その光は、私にも当たっていたのである。
思わずハッとした。光というものは、ものにあたって反射するだけでなく、温かさとして染み込むものでもあったのだ。私の中で凍っていた何かが溶け出した。そして何だかとても温かい気持ちに包まれた。おそらくこの体験が、こうやって今でも写真を続けていることの大きな原因のひとつになっていると思われる。
先日、久しぶりにその当時の写真を引っ張り出してプリントしてみた。コンタクトプリントの中には、当時の悶々とした旅の軌跡が記されている。写真とは不思議なもので、モノクロなのにも拘わらず、そこには色も音も香りも、実にいろいろなものが写っている。
思えば、あの日から随分長い時間が過ぎ去っていった。しかしあの時のことは、今でも鮮明に思い出すことができる。それほど印象的な瞬間だった。そしてあの冷たい風の中で感じた、温かい光の温度も今でもはっきりと覚えている。
All Copyright by 1997-2004 Ichigo Sugawara