連載「あかるいところ」
吉野の話
SIGNATURE2005/4 NO.480
不思議なもので、この季節になると我々日本人は、学校も社会も、始まりの時であることも手伝って、朗らかな陽気とともに何かと新しい気分で満ち溢れている。日本には「お花見」という習慣が脈々と継承されていて、人々は満開の桜の木の下に地面に色とりどりのシートを張り巡らしては、その瞬間を楽しんでいる。
もともと「お花見」というと「梅見」のことを指していたようであるが、今では圧倒的に桜である。古くは、時の太閤秀吉公が慶長三年(一五九〇)に「醍醐の花見」、そして四年後の文禄三年(一五九四)に「吉野の花見」を催した。いずれも数千人の規模で催された大きな花見の会だったようである。
なかでも私にとって驚きだったのが「吉野の花見」の折の力業。前の年に視察に訪れた秀吉公は、その山桜中心の桜群に彩りを加えるために、数千本単位の色鮮やかな枝垂れ桜を植樹したというのである。何とも秀吉公らしいといえばそれまでだが、実はそのことが後々、新しい世界を作っていくことに大いに役立っているのだから、一概に否定もできない。そんなふうに思ったのは、それなりの理由がある。
昨春、韓国の友人を案内して久しぶりに吉野をゆっくりと歩いた。見物人の多さにも驚いたが、何より驚いたのは、この里に咲く桜はすべて、自生のものではないという事実だった。秀吉公が植樹した桜以外は、自生のものだろうと思い込んでいたからである。
平安時代、古来よりの山岳信仰に神道、そして仏教などが混じり合い、日本固有の修験道が成立した。そしてその開祖のひとりでもある役行者(ルビ/えんのぎょうじゃ)が、吉野の山中で金剛蔵王権現を感得し、その姿を桜の樹に刻んだことから、桜はこの地において御神木となった。人々は吉野山に登り、信仰の証として桜の苗木を植樹したと言い伝えられている。
一本の桜の木から始まった吉野の物語は、時とともにその幽遠な趣を増していった。当初信仰の目的で植樹された桜はやがて、西行をはじめとする多くの歌人に名歌を詠ませ、先の秀吉公の花見、江戸時代には松尾芭蕉、本居宣長といった文人も訪れる名所となっていくのである。
一本の桜が千年の時を経て、新しい世界をつくってきた吉野の里――その間にも幾多の植樹が繰り返され、秀吉公が持ち込んだ色鮮やかな枝垂れ桜や他品種との交配が重ねられた。そして現在、吉野という場所は世界で最も桜が美しい場所となったのである。
現代その数およそ三万本。全長八キロメートルほどの谷を「下千本、中千本、上千本」と呼ばれる桜が、あたり一面を埋め尽くしながら咲き誇る。その艶やかさは、視覚的にもこの世のものとは思えないほどの美しさである。
私を何よりも朗らかな気分にしたのは、同行した隣国の友人の感嘆の笑顔、そして桜の艶やかな色彩を浴びながらここを訪れている人々の春らしい表情だった。
「中千本」とよばれる地帯は、谷のなかでも細い尾根の中腹にあたり、いくつもの細い道が連なっている。このあたりは観光客もあまり下りてこないようで、人も割と少ない。その細い道を笑顔で挨拶を交わしながら行き交う人々の朗らかな表情が今でもしっかりと脳裏に残っている。
暖かい春の日差しを浴びながら畦道を歩いている時に、私は言葉一つひとつの速度も含めて、不思議なほどに時間がゆっくりと後戻りしているかのような感覚を覚えた。その時間軸は、単純に過去に遡るものではなく、確実に次なる季節に向かっているものだった。そしてこのような瞬間が、自然だけの力ではなく、長い時のなかで様々な人々の思いとともに育まれた光景のなかから立ち現れたことが、何よりも嬉しかった。
All Copyright by 1997-2004 Ichigo Sugawara