連載「あかるいところ」
「今日の空」の話
SIGNATURE2005/5 NO.481
私はウェッブページ上で、二〇〇二年の元旦から毎日欠かさず、その日の空を撮影し、自身のたわいもない日常を書き綴ってきた。それは、日々の暮らしの上に、常に光としての空があるということを確認し続けていたいからにほかならない。
慌ただしい毎日のなかで、私たちはやもすると昨日の天気さえも忘れてしまう。だがそうした惰性的な日常は、こと写真家に至って極めて致命傷といえる。なぜなら、この世に光がなかったら、多くの事象が確認しえないのはもちろんのこと、一枚の写真も存在しないからだ。
そう思って毎日空を見上げていると、その場所が「光っている場所」であることを改めて認識することができるのである。
今や世の中、カメラといえばデジタルカメラの時代である。ウェブに掲載している写真もデジタルカメラで撮っているが、当然これで全ての写真が撮れるとは思っていない。しかし、この光をカメラでとらえ、それを再び液晶の画面上で発光させるという作業は、これまで自分がもってきた写真に対する概念を大きく変えるきっかけとなった。
何よりも写真とは、それが始まったときから、そこに存在する光をどのようにとらえるのかということに終始してきたといっても過言でない。
光満ち溢れる空の下では、気分も高揚し、ものごとの存在全てが明らかになる。もちろん毎日の空が晴れというわけにはいかない。こちらが落胆してしまうほどに暗い空の日もある。それでも何も見えないという昼間は存在しないし、必ず晴れる日はやってくる。
こうして毎日空を仰ぎ、一喜一憂しながら思い至るのは、ゆっくりと真っ直ぐに見つめていないと見えないものがあるという揺るぎない事実。そしてどうやら、この世のものごとは全てつながっているのだという実感だ。
私のなかで、その印象はこの地平線のように横に拡がっていく。この写真が存在する世界がいつもあかるくて、あたたかい場所であることを心から願っている。
All Copyright by 1997-2004 Ichigo Sugawara