朝始まって、朝終わる。 そんな映画、写真集を創りたかった。 何故ならこの当たり前の日常の普遍的な一面にひとたび眼を向けると、そこには多くの非日常が存在している。それは時に喜びとなり、悲しみとなり、多くの色彩と共にかたちを変える。
撮影地である沖縄・那覇は、我々日本人にとって、歴史的にも本来ある部分特別な土地である。
しかし、僕には忘れかけていた、いや忘れようと思っても決して忘れることのできない生活のいとなみが当たり前の顔として、強い日差しをあびながら、美しいと感じさせてくれた。ここでは人々が毎日同じことを繰り返しつつも、まるで庭先に植えられた植物のように強く生きている。色彩はすべてが手造りでアイデンティティーとしてその主張を持っており、それは日本の伝統色とはおよそかけ離れたもので、僕には昔のメンコであるとか、手塚治虫の漫画などの印刷世界のように感じられた。鮮やかではあるが、独特の濁りがある。湿度と言っていいのかもしれない。そこに僕は日本人としてのアイデンティティーを感じていた。
主役である「大内まり」はその風景の中で呼吸をする。美型な顔立ちと裏腹に存在する日本人の女の子が持っている素朴なたたずまいは、彼女をよりこの地の美しさと同化させた。
「青い魚」は僕らの日常において、どちらかというと熱帯魚的なもので、決して日常的なものではない。しかし、この地では魚屋さんに食材として、売られている。初めて魚屋さんでこの「アオブダイ」という「青い魚」を見た時、正直言って驚いた。そしてその後、驚いている自分に驚いていた。
いかに僕らが考えている日常とは非日常なことかと。 すべてこの人々は個々に悩みをかかえ、ある種の不安と共に暮らしている。しかし皮肉にも毎日、新しい朝を迎える。これが当たり前なのか非なかは定かではない。
しかし僕はきっと、この何かと何かが、例えば夜から朝に変わる時、交わり合う瞬間に全てのものが生まれるような、そんな気がする。