2001/07/30 アマミク・シネリク・ニライカナイ(その1)



このタイトルを見ただけで、何のことか判る人がいたとしたら、それはそれですごいが?
これは簡単に言うと、沖縄・琉球王国の古代よりの神様の名前である。
といったわけで、またしても、遅い更新になってしまったが、ぼくはこのくそ暑い中、もっと暑い沖縄まで撮影旅行に出掛けていた。今回は、いわゆるビジネスとしての仕事ではなく、自分の写真家としての仕事のために、沖縄に向かったのである。
それというのも映画・写真集「青い魚」以降、沖縄はぼくにとって「世界中でもっとも好きなところ」と言わしめる程、特別な土地になっているのは、皆さんもご承知のことと思う。そして、遂にというか、久しぶりに、沖縄での新しい写真を撮るために動き始めたということなのでもある。「青い魚」以降、何度かかの地を訪れ、「沖縄」という場所との関わりは、多くの偶然と共に、どんどん深いものになってきた。その中でも、ぼくの尊敬するところの吉増剛造氏が、ぼくと志同じにして「南方」に関わっていることは、創造の上で、大きな原動力になっているように思う。
とにかく、ぼくは相変わらず、日常を軸に「自分の居場所」を探しているわけです。(ちょっと格好良過ぎかな?)
そして、今回は、それはまるで図鑑をまさぐるように、「沖縄の森」を回ったのである。もともと「森」という場所は個人的にも大好きな場所でもある。「そこにはすべてがある」という感じがしてならないからである。「海」か「山」といわれれば「ものを考える」という尺度では、圧倒的に「山」だと思う。「海」に修行に行く僧侶はいないものね?それぐらい「森」という場所は「個」としての自分と向かい合うには、格好の場所なのかもしれない。だからといって、もちろん「修行」に行ったわけではなく、ぼくは単に写真を撮りに行っただけのことなのだが、結局、古代琉球王国にトリップする楽しい?旅になった。

最初に、神の国ニライカナイより、シネリクの妻であるアマミクが、沖縄本島に隣接する小さな島「久高島」に降り立った。そして、アマミクは七つの聖地「ウタキ」を創ったと言われている。それが、琉球王国の始まりということのようだ。しかも、この「ウタキ」という霊場は、日本の神社の原点と言われている。かの沖縄学の父「伊波普猷」はこのことを実証し「日琉同祖論」を唱えている。その真意は別にして、ぼくたちが日常的に考えている以上に、この国にとって「キーになる場所」であることは間違いないようである。

2001/07/13 イヤになるほどの快晴!

まずは沖縄最大の聖地「齋場御嶽(セーファウタキ)」に向かった。ここは前回も訪れているのだが、今では世界遺産のひとつに指定されている。それは本島の南東にあたる知念村の海に面した森の中にある。その小高い丘の上にあるこのウタキの眼下には、先述のアマミクが降り立ったと伝えられている「久高島」が見える。
南国独特の深い緑の茂みを抜けると、突然「大庫理(ウフグーイ)」と呼ばれる第一の拝所が現れる。この突然の空間の変化が、訪れた人々に昔から一種の恍惚感を与えていたことは間違いなのではないだろうか?そして、さらに奥に進むと、それこそ古代の人間が造ったとは思えない巨大な石を立てかけた拝所のひとつが現れる。


その先から見える「久高島」

 
左:ウタキに抜ける道 右:「斎場御嶽」の拝所のひとつ「三庫理(サングーイ)」

しかも、この巨大な石のトンネルは太陽の経線と同一線上に位置している。恐るべし「縄文人」といった感じである。そもそも、ぼくはこの「縄文」というキーワードをもとに「沖縄の森」を目指した。というのも、当然ぼくはいわゆる本土の人間である。よって、幼少の頃「クワガタ」を求めて駆けずり回った森は落葉樹林である。それに比べて、沖縄、屋久島といった南東の森には、自分自身にとっては一見、非日常的な植物が存在している。最初は那覇という街も同様であったはずだ。そこには、明らかなアジア的な異文化を感じた。しかし、今ではここ東京よりも「自分の居場所」というある種の安心感を感じている。そんなわけで、本当の意味での「森」を探しているのである。ちょっと、話が長くなりそうなので、そのあたりのことは横に置いておいて、日記に戻ろう。
そして、途中で二手に別れた左手の道を進むと「寄満(ユンイチ)」といわれる、このウタキでは一番奥にあり、大きな祭場に面した、神々しいばかりの拝所が存在している。ぼくは、「御嶽(ウタキ)」というよりも、どうやらこのような深い森の中に忽然と現れ、しかも、まるで宇宙船が降り立つような印象で、光が天より注ぎ込まれてる、この「祭場」の光景に心惹かれているようである。

それにしても、暑い!
この亜熱帯の森の中というのは、異常な程の湿度である。じっとしていても汗がしたたり落ちてくる。そんな森の中で、感じていたことは、当たり前のことだが、ここは「聖域である」ということであった。この森がもともとがどのような意味を持っていたのかは、もちろん深くは知らない。しかし、人々が長い時間をかけて通い続けることによって 生まれる「力」のようなものを感じていた。「神を冒涜する」という意味ではなく、その人々の気持ちが創り上げた「森の命」みたいなものが、とてつもなく大きなものにつながっていっていることが、はっきりと自覚できた。そして、その「聖域」には単なる好奇心だけでは近づけないな、とも同時に感じていた。気が付くと、ぼくのカメラは「拝所」の方を避け、それを包み込む光に向かっていた。

もちろん、ぼくが見たかったものも、良い写真も撮れた。しかし、どこかで納得していない自分もいた。撮影を終えたぼくは、何となく「いつもの場所」に戻っていた。この「いつもの場所」というのは那覇市内の「希望ヶ丘公園」という牧志公設市場に隣接した、まさしく丘の上にある。ぼくは、最初に那覇市内を散々歩き回って、写真を撮り、この公園を訪れて、初めて眼下に広がる「街」を見た時、「海のようだ」と感じたのである。そこで映画「青い魚」の「街は海、人は魚」というコンセプトが生まれて、最終的には「青い魚」というタイトルが生まれたのである。しかも、ここは立地条件も手伝って「中心」という印象を与える。そして、何よりも驚いたのは、先述の吉増剛造氏も、この公園を「那覇のへそ」と言っていたのである。このことを尊敬する吉増さんから初めて聞いたときには、心震えたものである。

これは、いつものことだが、またその公園に戻ってきた。夕暮れ時はいつも、心地よい風が通る場所である。しかし、その日は風が無かった。森と同じように、ただ夕暮れを待っているだけで汗がしたたり落ちてきた。そうこうしているうちに、徐々に日が暮れてきた。公園内の街灯も点灯された。夜の酒盛りに向けて人々も集まってきた。ぼくはそのマグリットの絵のような「街灯」にカメラを向けていた。そして、振り返るとそこには、今まで見たこともないような空が拡がっていた!!!


「希望ヶ丘公園」より望む空!!!!!


その反対側の何ともシュールな公園の街灯

とにかく、写真というのはこういうものだと思う。よくコンセプトがどうのこうの言う写真家がいるけど、ぼくはそういった人たちが大嫌いなのである。何故なら「能書き」より「眼の前にあること」の方が圧倒的に「すごい」からである。もちろん、ぼくもいろいろ考えるけど(時に考えすぎる程)僕らが相手にしている被写体という奴はすごい奴らで、ちっぽけなコンセプトなんて言うものは、ご覧のように簡単に吹き飛ばされてしまう。しかし、皮肉なことにこのようなことは「真剣に対峙して」初めて生まれてくるのである。だから「写真は面白い」とぼくは思っている。
この「光景」を見たら「気が晴れた」。日は沈んで夜にはなったが、ぼくにとっては明らかに「夜明け」であった。そして、ぼくはこの時に何故か「奄美大島」に行くことを決めたのである。8/9より行ってきますので、お楽しみに!
それと、今回は我がストロベリーズのメンバーでもある、ディレクターの岡本女史も夏休みで沖縄に来ている。その休みの中、ぼくのプロモ・ビデオ?の制作のために同行してくれた。
そんなわけで、岡もっちゃん、沖縄の上里君と合流して、いつもの「亜伊油」で琉球料理を楽しんだ。

 
左からぼくの大好物の「島らっきょう」と「ソーメンチャンプル」ここのは絶品!!

- 次回へ続く-


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