2001/10/02 満を持して「何を書いたらいいのやら?」



「何を書いたらいいのやら?」
これは正直なぼくの心境である。何のことかといえば、お察しのとおり?今回のアメリカにおける、同時多発テロ事件についてである。何よりこの事件当時、ぼくはイギリスより日本に向かう機上にいた。そして、機内でこの事件を知ったのである。それにしても恐ろしい話である。いろんな思いが交錯するが、仮にもしぼくが「ニューヨーカー」であったとしても、この事件のコメントは難しい。読者の皆さんからも「どう思ってるのですか?」というメールを多々戴いた。しかし、本当に思っていることを書いてしまったら、今現在、必死でこの事件に直面している人たちに申し訳ないし、かといって下手な「平和運動」も大嫌いである。その上、アメリカはもちろんのこと、日本における各方面の先生??達のコメントは、まるで的を得ず、むしろ彼らに対しての怒りがこみ上げてきたりする。そのことにいちいち反応するほど愚かではない。ただ、ぼくの中で、改めてはっきりしたことは「アメリカという大国」がやはり好きになれないということと、この国の政治のレベルの低さである。もちろん、いいところだってあるのだろうが、やはり、そこには人々が生き生きと生きる姿が、まるで見えてこないのである。
そんな中で、唯一ぼくが出来ることいえば、いいとこ「義援金」ぐらいなものであろうか?

先日、高橋尚子選手がベルリンマラソンで世界記録を出した。イチローも大リーグの新人記録を塗り替えた。この場に及んで、ボブ・ディランはすごくいいアルバムを出した。(しかもとても明るい)その中でも、特に高橋尚子選手の「みんなが応援してくれたから」というコメントには、ちょっと感動した。

そんな毎日であるが、仕事も忙しい。新しい大きなプロジェクトも進んでいる。でも、このことがずっと頭から離れないのも事実である。友人の安否を気にしてみたり、昨年、勝谷誠彦氏と訪れたカンボジアのことを思い出したり、すっきりしない毎日である。そんな折に昨日、友人からいいメールをもらったので、この場で紹介したいと思った。それは、事件当時ベルリンにいた「スーザン・ソンタグ」という女流作家のコメント文である。「スーザン・ソンタグ」は写真をやっている人々にとっては、彼女の「写真論」という著書で馴染みが深いのではないだろうか?実際、ぼくも、その話そのものが途中でなくなってしまったので、何とも言えないが、何年か前に写真集の話があったときに、出版者の意向もあって、彼女に序文をという話になり、楽しみにしていたのを思い出す。
このコメント文は、彼女が、空港でこの事件を知り、ニューヨークに戻る飛行機を待つ間に書いたものを、ドイツの新聞(FAZ)に寄稿したものである。

これは、ニューヨーカーである彼女だから言ってもいいコメントであって、ぼくが話すと違う話になってしまうように思う。ただ、今までのどんなコメントよりも、ぼくは大いに納得したコメントでもある。

そんなわけで、ぼく自身は改めて、自分が出来ることに対して地固めに向かおうと考えている。何が起きても動じないほどの自分自身を構築するために、もう少し頑張らなくては!



出典: FAZ 9月15日(土)発行
掲載面:Feuilleton (45面)
著者: Susan Sontag

「その殺害者たちは卑怯者ではなかった」(Feige waren die Moerder nicht )

ショックに沈むアメリカ:論説の誤った一致性。
驚きのあまり声もなく、悲しみに沈むアメリカ人であり、 ニュ−ヨ−ク人でもあるこの私にとって、この前の火曜日という日ほど、巨大な現実がわれわれの頭上から崩れ落ちてきたあの日ほど、アメリカという国がその現実の姿から、これほどまでに、大きく遠くかけ離れてしまったように 感じられた日はなかった。 起こった出来事と、その出来事の受け止められ方と、理解のされ方の間におけるアンバランスは、すなわち一方では、ほどんど総ての政治家たちと(NY市長のジュリア−ニを例外として)、他方においては、テレビ解説者たちが(Peter Jennings を例外として) まったくひとりよがりのナンセンスな言葉や、恥を知らずの 欺瞞に満ちた発言ばかりに終始していたという状況は、私の心を不安に陥らせ、重く憂鬱にさせるに十分過ぎるほどであった。この出来事を解説する(ことができる権限を持った)声というものは、あるひとつのキャンペ−ンを展開させようとひそかに示し合わせているのか、とさえ私には思えた。彼らの目的とは:世間一般を、これまで以上に愚民化することである。今回の出来事は、「文明」や「自由」、「人間の尊厳性」 または「自由社会」に対する「卑怯」な攻撃などではなく、アメリカ合衆国に、世界で唯一の、自称最強国に向けられた 攻撃なのであるという自明の事実を、どうして認めないでのあろうか? この攻撃は、アメリカという国がとった政治、国家利益の追求と その行動によって導かれた結果であることを、なぜ認めようと しないのであろうか? アメリカが、現在も、イラクへの爆撃を続けていることを、 果たしてどれだけのアメリカ人が知っているのであろうか? もし「卑怯」という言葉を口にするのであれば、その言葉はむしろ、報復爆撃を空から行う者に向けられるべきであって、 他の人間を殺すためには、自らの命をも断つことを覚悟した 者に向けられるものではない、もし、われわれが勇気について、この唯一の、道徳的な 見地からみて中立である美徳について語るのならば、暗殺者たちを(たとえ、彼らをどのように呼ばわろうとしようとも)、彼らたちを卑怯であると非難することはできない。 われわれの政治リ−ダ−たちは、声を揃えて、すべては 正常な状態にあると信じ込ませようとしている。いわく; アメリカは何も恐れてはいない。 われわれの精神は不屈、不変である。 「彼ら」を探し出し、「彼ら」に罰を与えるであろう。(誰がその「彼ら」であろうとしても) アメリカは、これまでと同じように真っ直ぐに、揺らぐこと無く立っていると、まるでロボットのように国民の前で、 何度も、何度も、繰り返して述べる大統領がこの国にはいる。つい最近まで、ブッシュ政府の外交政策を激しく批判していた公務に携わる多くの人物からは、いまや、ただひとつだけの声が聞こえるだけである: それは、彼らが、アメリカの全国民と一緒になって、全員一致して、恐れることなく大統領を支えていこうという声である。 テレビの解説者は、われわれが死を悲しむ人々のために、心の支えとなるべく?命になっていると報じている。 当然のことながら、国際貿易センタ−の中で働いていた人々が、どのような変わり果てた姿となってしまったかを伝える、戦慄を起させるような画像はわれわれの目には示されていない。 そのような画像は、われわれを意気阻喪させるだけであろう。ようやく、2日が経過した後の木曜日になって (ここでもジュリア−ニ市長は例外であったが)、 初めて、犠牲者の数についての公式発表がなされた。あの火曜日は卑劣な行為があった日として、歴史に記録されることになり、アメリカが再び戦争に直面した日とされているにもかかわらず、国民には、すべては正常な状態にある、または、少なくとも、正常な状態に戻りつつある、とアナウンスされていたのである。 何がいったい正常な状態であったと言えるのであろうか? そして、今回の出来事は、あの真珠湾とは何ひとつとして共通するものなどありはしないのだ。 いま最も真剣に反省され、考慮されなければならないことは、(おそらく、すでにもうワシントンやその他の場所で始まっていることではあろうが)、アメリカ諜報機関が露呈したとてつもない無能さぶりと、特に近東における、これからのアメリカの政策の在り方と、それと、この国におけるきちんとした軍事上の防衛計画についてである。 しかしながら、はっきりと判ることは、この国の指導者たちは(それは、いま現在職務についている者、その職務につこうと している者、また、かってその職務にあった者らを総てをふくめて)、唯々諾諾としたメディア、マスコミの力を借りて、一般大衆には あまりに多くの事実は知らしめまいと、心に決めていることである。 かって、われわれは、ソビエトの政党大会において聞かれたような全員がこぞって拍手賞賛し、自分たちだけが正しいとする月並みな発言を軽蔑し、さげすんでいた。ここ数日のメディア、マスコミにおける、ほとんど総ての政治家と解説者たちの口から出てきた、いかにも信心家ぶった、 現実の姿をゆがめた美辞麗句による画一的な一致は、 民主主義にはふさわしくないものである。 またさらに、わが国の政治指導者たちは、彼らが 彼らに与えられた仕事とは、世論を操作することであると理解していることが明らかになった。 それは、国民の信頼を得るための操作であり、死者への 悲しみと苦痛を上手に処理するための手際である。 政治は、ひとつの民主主義におけるこの政治は(意見の不統一と、矛盾を結果としてもたらし、 率直さを促進させながらも)、精神療法と取って替えられてしまっている。 われわれを共にして、死者を悲しまさせんことを。 しかし、われわれを共にして、愚行に身を任せることの無きことを。 ほんの僅かな歴史に対する意識が、すでに起こった出来事とこれから起こるであろう出来事へのわれわれの理解を助けることであろう。「わが国は強力である」この言葉は、すでに何度も、何度も繰り返し聞いた。 私には、この言葉はちっとも慰めにならない。 いったい誰が、アメリカは強力であることに疑いを持つというのであろうか? しかし、現在、アメリカが示すべきものは、ただその強さばかりではあるまい。


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