2000/06/04 何だか、やっぱり「アジア」
いきなりだけど、何だか、やっぱりアジアかも知れない。
そういえば随分と長いことそんなことばかり考えているような気がする。思い起こせばあのラフォーレミュージアムで僕が個展をやったのが、エーっと?1989年。とにかく写真を始めたときから考えていたことは「自分自身が視る風景とは?」みたいなことだった。それが大学1年の時だからそれから7、8年そう思ってやって来たのに、その結果思ったことは「一体、僕って何人?」ということだった。当時、その展覧会は世間のいわゆる現代美術ブームと重なってかなりチヤホヤされたものだが、僕の中では何だかピンと来ていなかった。(その時誉めてくれた人たちゴメンナサイ)その後、本当の自分の原風景を見つけようと、何となく学生時代によく通った「奈良」に僕は向かった。中でも「山の辺の道 」は大のお気に入りであった。そして僕はその「三輪山」の麓の古墳に囲まれた小道を毎日毎日のように歩いた。もちろん気分は聖徳太子である。その時毎日、ふと思うことは「ここって日本?」ということだった。当時はその疑問が何なのか、知る由もなかったがその後「沖縄」をはじめ「アジア各国」の旅を繰り返す中で改めて「奈良はアジアだ」ということを知った。結局、僕は「ロバート・メープルソープ」をはじめ様々なものの影響と出会いによって、自らの写真を構築して行ったつもりが、その自らの写真によって改めて「日本はアジアだ」ということを認識していった。そして、その思いは映画「青い魚」によって長い期間「沖縄」という街と付き合うことでどんどん深まって行ったわけである。
僕は本当の「日本の色」をかたちにしたいとその時からずっと考えている。そしてそう思っているからだろうか?ここのところやたらとアジア付いている。
このページでも書いたように先月より韓国人の李という男がアシスタントとして来ている。その前には勝谷誠彦氏と共にカンボジア、ベトナムとディープな旅をしてきた。(この中の一部は今月発売の「婦人画報」の別冊「アジア・リゾート」の中に楽園の三好和義氏と共に掲載されている。不思議な組み合わせではあるが、勝谷さんの原稿は相変わらずの絶品である。)そしてご存じのようにベトナムから帰ってくるなり、写真集「青い魚」を出版してくれた写像工房の師匠・小倉一夫氏より「築地本願寺」の撮影を依頼され、昨日は昨日で雑誌「ソトコト」編集長の小黒さんと打ち合わせをしていたら、次は「築地特集」とのこと。「本願寺」の話をしたところ、「おまえには他にもいろいろ撮ってもらって、築地で一冊、別冊作ろうと思ってるんだよ!」だって。
それでもって僕が今年、うちの若いのとやろうとしている展覧会が「TOKYO2000」で、 「ゲンコツ」では「Let's go SAIGON !」、 豊島映画が「神隠し」、 富士フイルムからは9月にチベット・チョモランマに行ってデジカメで写真集を創って欲しい、 といった具合である。その上、沖縄で「秋吉久美子さん」を撮影などと言っているところに「沖縄サミット」である。何となく勝谷さんと「賑わう沖縄」でも見に行こうか?などと軽い気持ちでベトナムにいる時、話していたので、先程沖縄の友人上里君にホテルを押さえてもらおうと思ったら、何と!彼は今「フェイ・ウォン主演の香港映画」を手伝っているという。僕は恥ずかしながら「フェイ・ウォン」の大ファンで、特に彼女の歌声が大好きなわけである。ちょうど先日来た、オーディオで昨晩も彼女の声を聞いていたところなので、驚いた。といったわけでこれも、ハイそうですか。というわけには行きそうにない。早速、新雑誌「フエル」(創刊号で僕が「水野真紀さんを撮っています)の編集長、馬場さんに報告をする。といった具合にすごいことになっている。
おそらく今、日本でこれほどアジア付いている写真家はいないのではないだろうか?
そういえば、近々うちの李と一緒に「韓国」に行く約束もしてしまった。一体、いつ何をすればいいのだろうか?真剣に計画が立てられそうにない。 驚くと同時に心躍る想いなのは、やはり望んで招いていることなのだろうか?
といったわけで、また追って報告しますがお楽しみに!
取り急ぎ途中経過?といったところです。
とりあえず来週は「江ノ島の弁天様」にお札を頂きに行ってきます。(こんな時に?いやこんな時こそ!)
築地の町並みと「築地本願寺」