2000/09/30 「小林薫氏といざ、ジンガロへ!」



またしても久しぶりの日記更新になってしまった。というのも、9/17〜22まで、俳優の「小林薫氏」とベルギーのアントワープまで「騎馬オペラ・ジンガロ」の取材に行ってきた。そして、帰ってきて次の日から、北海道・苫小牧に「ダンロップ」のロケがあったのである。大好きなオーディオもなかなか聞けず、昨日東京に戻ってきた次第である。といったわけで、今回は日記の中の日記という感じ。

9/18快晴、パリにて

それにしても久しぶりのパリである。何年ぶりであろうか?20代の頃の長い時間を過ごしたこの街は、今となっては特別な場所になっている。「好きなのか?」と聞かれると「大好き!」とは言えないものの、「嫌いなのか?」と聞かれると「全然、嫌いではない。」といった具合に微妙な感じである。でも、きっと好きなのだと思う。僕たちが泊まったホテルは、サンジェルマンのサルピス広場に面した「Hotel Recamier」。小さいけれど、多くの文人達が愛したいいホテルであった。場所もよかったけど、「やっぱりパリが好き」と思ったのは、前の日の夕方に到着した僕たちは、小林薫さんの意向もあり、サン・ジェルマンのカフェに出かけたのである。その時、石畳の広場を抜け、見慣れた路地を抜け、ちょっとした郷愁を自分なりに抱きながら、夕方の光の中でサンジェルマン通りに面した「Cafe de Flore」に向かったのである。その老舗の「Cafe de Flore」は昔と同じ顔をして、同じ味のコーヒーを出していた。そして、そこにはやはりパリ独特の金色の中に鈍色を少し足したような独特の光が満ち溢れていた。ぼくは、この光が自分の写真家としての人生を決定してくれたことを改めて確信していた。

 
左:ホテルの前の「Place Saint-Sulpice」右:サンジェルマン通り

「アントワープ」という街は、想像以上に「パリ」から近いのである。僕たちは多くの荷物と共に「TGV」に乗り込んだ。およそ3時間の電車の旅である。それは、ちょうど京都に行くような感じであろうか?

 
左:「パリ北駅」にて荷物を待つ「小林薫氏」右:オランダ「アムステルダム」行きの「TGV」

窓の外には延々と「田園風景」が続いていた。電車の中で「小林薫氏」と昔話に花が咲いた。というのも、いろいろと縁があって、遡ればぼくが高校生?いや大学生?の頃、当時「新宿御苑」で興業をおこなっていた「赤テント」こと「状況劇場」の舞台で薫さんを観ているのである。話によるとその頃はまだ20歳そこそこだったと言う。そして、昔の座長「唐十郎氏」の奥さんだった「李麗仙さん」は小倉さんの友人ということもあって、ぼくの写真集の出版パーティー以来、親しくさせてもらっている。そうこうしているうちに、気が付けば「ブリュッセル」である。知らない間に国境を越えていた。「日本」と言う島国に住み慣れているぼくにとっては、この感覚は何とも不思議である。今回はあの「ルイ・ヴィトン」がお洒落な、それもとても良くできたガイドブックを作っているのだが、「そのガイドブックをもとに小林薫氏が旅をする」というのが、別テーマとしてある。といったわけで、ホテルもレストランも一応その中から選んであるわけである。「ルイ・ヴィトン」のガイドブックなのだから間違いないだろう?という日本人のブランド志向がどう転ぶか今から楽しみでもある。

 
左:「ルイ・ヴィトン」のガイドブック、8冊セットで立派な箱に入っている 右:夜の「アントワープ広場」

9/19 快晴、アントワープにて

「アントワープ」は小さいながらも、やはりフランスの影響だろうか?昨晩の料理もすごく美味しかったし、非常に美意識の高い美しい街である。「パリ」とも「アムステルダム」とも違う独特の時間が流れているような気がした。僕たちが宿泊するホテルはそれこそ「Hotel Rubens」。「アントワープ」の中心部の「旧市街」の一角にあるいい感じのホテルである。「アントワープ広場」も「ルーベンス」の絵で有名な「大聖堂」も目と鼻の先である。僕たちは昨日よりレンタカーを借り、迷いながらも徐々に土地勘が生まれてきている?今日は「アントワープ」郊外で催されている「騎馬オペラ・ジンガロ」の会場を訪れて舞台の撮影をする予定である。

 
左:朝日を浴びる「旧市街」に石畳 右:朝の「アントワープ広場」

公演は夕刻とのことで、打ち合わせのために早めに行くといっても時間はある。そこで、ぼくたちは「アントワープ王立美術館」に向かった。そこは予想以上に大きな美術館で、中世のものから現代のものまで展示されており、しかもそのレベルたるや半端ではない。改めてこの街が持っている最初に感じた「確実な時間の蓄積」を実感した。昨今では「マルタン・マルジェラ」をはじめとする多くのファッションデザイナーを輩出している「アントワープ王立ファッション学校」が日本では有名だが、この美術館はある部分、昨年訪れて、知られていない素晴らしい絵画が多くて驚いたロシアの「エルミタージュ美術館」に匹敵するぐらい、日本にはほとんど紹介されていないであろう美しい絵画が多く観られた。もともと、ぼくは「ルーカス・クラナッハ」「クノップフ」をはじめ2年前にこの世を去った「ポール・デルボー」など「ベルギー印象派」と呼ばれる人たちを含めて「ベルギーの画家」には好きな人が多かったのも事実である。そして今回の何よりの収穫は「ルネ・マグリット」である。「マグリット」がベルギー人であることさえ知らなかったが、小林薫氏がテレビの番組の中で「マグリット」のナレーションをやられたそうである。それ以来、何となく人として興味があるとのことであった。その大きな美術館の一部屋一部屋を二人で訪ねて回った。そして後半の部屋の中で「ルネ・マグリット」の絵画は現れた。しかも「ポール・デルボー」と並んで。その絵は夜の闇夜にひっそり佇む一本の樅の木?の中に、ぽっかりと三日月が浮かび上がっている。もちろん非現実的な世界なのであるが、それは「シュールレアリズム」云々よりも、そこには正に印象としての風景が描かれているように感じた。とにかく美しい絵画であった。ぼくらは大いに感銘を受けた。

 
左:左より「ルネ・マグリット」(クリックすると拡大)「ポール・デルボー」 右:古い絵画を修復している様子

もうお腹いっぱいになるぐらいに絵画を堪能した。自分の中で「ベルギー」がどんどん好きになって行ったようだ?ぼく達は美術館を出て、昼食を兼ねて、あるいは取材と称して「ベルギービール」も大いに堪能した?(ぼくはお酒が飲めないので判らないがかなり美味しいらしい?)こんなことでいいのかは別にして、レンタカーに乗り込み、一路「ジンガロ」の会場に向かった。
初めての国でいきなりの高速道路である。若干緊張したものの、およそ1時間ぐらいで車は到着した。「ジンガロ」は森の中の牧場のような草原の中で行われていた。中心部には大きなテントが張らて、その周辺にはレセプションの会場など様々な施設が作られていた。「ジンガロ」のディレクターの「バルタバス」を中心とした出演者は、各々キャンピングカーの中で日々を送っているようである。それはまるで、大きなサーカス団のようである。
それにしても天候には恵まれている。会場は牧場のようなところゆえ、それこそ雨が降ったりしたら大変である。僕たちの後にも、夕暮れ時の公演時間に向けて、次から次へと車で観客がやって来る。駐車場(駐車場といっても野原に駐めるだけのことなのだが)に車を止め、中央のテントまで林を抜けて歩いて行く。そこにはライトが灯され、それはまるで遠くから見ると、川辺に続く「蛍の光」のようにも見える。とにかく幻想的な美しい光景であった。打ち合わせの時に初めてお会いした「バルタバス」のマネージャーも非常に好意的で、ぼく達には非常にいい場所のチケットを用意してくれた。しかも、日本では何の情報もなかったので撮影に関しても心配していたのだが、彼女はぼくに、中央の全体が見下ろせる場所を確保してくれた。ありがとうございました。


VIPのチケット

それにしても、さすがヨーロッパという感じである。チケットを頂いたぼく達は公演前の数十分間を、レセプション会場で過ごした。別に今日だけのことではないらしいが、毎日公演の前にはこうやって牧場の中とは思えない程お洒落な空間の中で、軽食と飲み物を嗜みながら、みんなが歓談を楽しんでいる。これはなかなか日本では味わえない光景である。このような光景を見るにつけ、改めて昨今の日本はすべてが、慌ただしいような気がした。

 
左:出番を待つ「馬」 右:会場であるテントの階段を上る人々

そして、いよいよ舞台の幕開けである。(幕は無かったが?)今回の演目は「ZINGARO」としては6番目の演目である。今までだと最初に演出ありきだったらしいが、今回は「音楽」が先行したそうである。たまたまディレクターの「バルタバス」と著名な指揮者「ピエール・ブーレーズ」が友人で彼の18番である「ストラビンスキーの春の祭典」が選ばれたと聞く。これはもともとバレエ音楽でかの「ディアギレフ」の名演で有名である。この話を聞いたときにぼくは驚愕した。というのも出発の2日前にぼくの家で、いつものオーディオ試聴会をやっていた。その時に「ボールド」の立沢さんより「ブーレーズの春の祭典」を薦められたのである。昨今、クラシック音楽に夢中なぼくは早速、次の日にこの名盤をゲットし、行きの飛行機の中で、これまた教えてもらった「SONY」の「バイオセルロース」のヘッドホンで散々聴いていたのである。この偶然には驚かずにはいられない!
やがてその「春の祭典」と共に「ジンガロ」が始まった。少し盛り上がった円形の土の舞台の中で「白馬」が演技?をしている。「馬」が演技をするとは驚きである!しかもこの世のものとも思えないほど美しい。そして、その馬に美しい女性達が絡んでいく。それは「バルタバス」によって計算し尽くされたライティングの中で舞台は加速度を増して進んでいく。その様はまさに圧巻である。

 
左:「ジンガロ」の円形舞台(ブレているのが疾走する馬たち)右:唯一の日本人出演者「KameiYoshinobu氏」のクラリネット独奏(QuickTime Movie)

そして、それこそ最後は「バルタバス」がひとり馬を駆り、舞台中央で「止まったまま走る?」のである。そうして舞台は終わりを告げる。「私はひとりでも走り続ける」とでも言うように。とにかくいくつかの問題点は感じたものの、素晴らしい舞台であった。明日は遂に「バルタバス」と「小林薫」の対談である。どんな人なのか今から楽しみである。

9/20 快晴。

今日も快晴である。僕たちは、勝手知ったる「アントワープ」の朝の街を抜け、昨日と同じ道を走り、「ジンガロ」の会場に車を飛ばした。いよいよ「バルタバス」との対談である。パリを拠点に世界を旅する「旅芸人」に、日本の元祖アングラ出身の「小林薫」が対峙するわけである。
「バルタバス」は多くのキャンピングカーが点在する広い野原の中の大きな木の下のそばに、ちょっとレトロな流線型の専用車を横付けして、コーヒーを用意して我々を迎えてくれた。このバスを見ても解るようにかなりのナルシストである。しかし、その話す内容は常に核心をついていた。ぼくにとっても非常に興味深いこの対談は、大きな木の下の朝の光の中で行われた。ぼくが何よりも印象に残ったのは、彼は「馬の演出」というたったひとつのことを繰り返すことによって「真の職人」を目指しているということ。だから、自分自身が「アーティスト」である必要はないと。そして、今は死んでしまった「ジンガロ」という名の馬に出会ったことで、その大好きな馬と共に彼の人生が始まったとのことである。今はその「ジンガロ」という馬への追悼の慰も込めて舞台を続けているとも言っていた。そして永遠に「ジンガロ」を続けると。
とにかく自分がやりたいこと以外はやらないそうである。すごいのか?すごくないのか?別にしても、ご覧のとおりの伊達男である。

 
左:これが噂の「ミスター・バルタバス」右:日本代表?「小林薫氏」

ほんの1時間ぐらいであろうか?短い時間ではあったが有意義な時間であった。僕たちは再会を約束し「バルタバス」のもとを後にした。
今日も夕刻より「客」として舞台を観に行くことになっている。(それでも撮影はするのだが)僕たちは一旦ホテルに戻って服を着替えて、またしても同じ道を走って「ジンガロ」に向かった。その途中、空は日没を迎え、異常な程の美しさを演出していた。そして、先程「バルタバス」を撮影した野原も美しい空に包まれていた。


「バルタバス広場」(勝手に命名しました)

この空がぼくにとっての「ベルギー」そのもののような気がしている。この光、あるいはこの光景が「ルネ・マグリット」のような画家を生んだのではないだろうか?僕たちにとって「シュール」なこの空も、きっと彼らにとっては日常なのかも知れない?そんな想いを描きながらぼくは空に向かってシャッターを切り、その後「ジンガロ」の舞台を観ながら「ブーレーズの春の祭典」を聞いていた。

遂に明日は帰国である。短い旅ではあったが「小林薫」という良き先輩と共に旅が出来たことを、心から幸せに感じている。そして、「ジンガロ」という偉大な舞台を創り上げた「バルタバス」という男に会えたこともぼくにとっては有意義なことなのだと思う。とにかく最近、すごい人たちに囲まれて自分が存在していることに大きな喜びを感じる、と同時に身が引き締まる思いもある。
もうすぐ事務所も移転し、新しい日々が生まれるであろう。とにかく、より多くのすごい人たちとすごい光景に出会えることを心から楽しみにしている。
そんなことを思いながら、次の仕事に向けて(北海道)日本に戻っている。(帰りの機上にて)

今回のこのページの写真はすべて「FinePix40i」にて撮影しました。
尚「ジンガロ」の詳しい模様は、12/5発売の「ソトコト」巻頭特集にて紹介されますのでお楽しみに!


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